建業区の公共自転車カード [生活]

建業区の公共自転車カード

今回は誰でも利用できる公共自転車のお話。日本人会会員からの投稿です。

河西地区ではオレンジ色の自転車に乗った人をよく見かけると思います。
この自転車は建業区の公共自転車なのです。

オレンジの専用駐輪場から乗って、
返す時は建業区のオレンジの専用駐輪場なら
どこでも返すことができます。
駐輪場は建業区に現在150箇所前後あります。

利用方法は
自転車カードを指定の場所で発行してもらいます。
駐輪場にその自転車カードをかざすと自転車が借りられます。
返す時も自転車カードをかざします。
利用料金は2時間までは無料、
それ以降は1時間1元自転車カードから引かれます。

カードの発行方法は
保証金250と元々カードにチャージしておく金額50元が必要です。
身分証明書を持参し、簡単な申込書に記入して、
カードが発行されます。

発行場所はいくつかありますが
应天大街与乐山路交界が本部のようです。
ちょっと辺鄙な場所で、バスでも行きにくくちょっとムムムッと思いましたが
これからの便利を考えて我慢しました。

タクシーをたくさん利用される方はあまり必要ないかと思いますが
オリンピックセンター方面によくいかれる方で
地下鉄やバスを利用される方には便利ではないでしょうか?

自転車はまだ新しく壊れているものも少ないようです。
かごもあるし、サドルの高さも簡単に調節できます。
電灯とギアはないです。
鍵もないので、途中でちょっとスーパーに行くとかはできないですね。
自分で鍵を持ち歩くか、
駐輪場から駐輪場を乗るという感じです。


中国にはあって日本にはないサービス3 [生活]

中国にはあって日本にはないサービス3

以前紹介した「中国にはあって日本にはないサービス」の第三弾目です。日本人会会員からのレポートです。
m_m_Scan (1).jpg

遅ればせながら、夏休み中に利用した7-11のATMの手数料等を報告します。

言語は英語・韓国語・中国語・ポルトガル語から選択できました。
すでに9言語になっているところもあるようです。
(「日本初! セブン銀行口座のATM画面が9言語に! 外国人の方々が"使い心地"を体験」http://news.mynavi.jp/articles/2014/01/15/9language/

中国農業銀行のカードを挿入後、残高照会。これにも手数料がかかるとの表示が。
いくらかかるのか不明でしたが、中国に戻ってから確認すると4元引かれていました。

それから試しに1万円引き出してみました。
日本では手数料等わかりませんでしたので、中国に戻ってから確認すると、

8月13日に1万円を引いた時の引き落とし額が611.22元、手数料が18.11元となっていました。
これを見ると、手数料はほぼ3%。
レートをどのように計算しているのか不明ですが、
8/12のレートが10000円=602.36、8/13のレートが10000円=601.34でしたので、
だいたい1.5%程度上乗せされていることがわかります。

ということで、簡単にまとめると
残高照会手数料:4元
引出レート:約1.5%上乗せ
引出手数料:約3%
ということになります。

参考になれば幸いです。

ママ先生奮闘記2 [生活]

ママ先生奮闘記2

中国の幼稚園・・・ピンキリです。

有名幼稚園、近所の幼稚園、公立の幼稚園、庭のない託児所のような所など・・・
最近は年長さんになったら幼稚園には通わず
小学校入学のための塾に朝から夕方まで平日通うというおうちもあるそうです。
最近シュタイナー教育を行っている幼稚園が
南京だけでも4園もあるということも聞きました。

どこに通わせるかで将来が決まるとまでは言いませんが
「とりあえず近所でいいや」という親は少ないと思います。


4年教育が一般的でしたが
今年から規則が変わり、
公立幼稚園では一番小さな学年のクラスを開かないことになりました。
それで3年間だけ通わせるという子供が多くなりました。

クラスは30人程度の児童に二人の先生+生活の先生の三人体制です。



授業内容について紹介します。

絵画の時間では
先生がお手本を前に貼って、描く手順を説明します。
それから子供が描く。
色や大きさは違えど、基本みんな同じ絵です。

水墨画を教えてくれるところもあります。

描く手順をかなり長い時間をかけて段階を追って仕込むので
かなり複雑なものも描けるようになります。
これのすごいところは、クラス全員が描けるようになるところだと思います。
さすが世界の工場!
(でもみんな同じ絵ってどうよ?と思いますよね)


例えば「自転車」
1.まず実際の自転車を教室に持ち込んで観察させ、部品の名前や形を学習します。
2.次に各パーツごとに描きます。
 よく観察させて描かせているようです。
 「今日はサドルとボルトを描いた」なんて言うので、
 最初は「何をやっているんだ?」と思っていましたが。。。
3.最後に、実際の分解されてない自転車を描きます。
 かなり詳しく描いてきます。

課題を出されて毎日一人は発表するという時間もあります。
覚えたり、資料を用意したり、練習に付き合ったり
子供も大変ですが、親も大変。
物おじせずにある程度の人数の前で発表する習慣はつくと思います。
毎日クラスメートの発表を聞いてるので最初の挨拶なんか慣れたものです。
事前に準備した内容を発表させる授業って、
日本では小学校でもあまり聞かないですね。

園庭は狭いので外で走り回って遊ぶという時間は
あまりないと思います。
だから中国の子供はポチャポチャかガリガリ。


送り迎えはおじーちゃん、おばーちゃんがする家が多いです。
幼稚園ではおやつを食べてるのですが、
お迎えの時には
手にバナナやヨーグルトなどを仕込んで
門が開くと我先にとなだれ込みます。
ちょっと危ないです。私は少し波が収まってから入ります。
一番にお迎えすると孫がよろこぶのでね
気持ちはわかりますが・・・


放課後はみんな習い事に行きます。
月曜日はピアノ
火曜日はバレエ
水曜日は囲碁
木曜日は英語
金曜日は絵画
なんて具合です。

みんな一人っ子で両親共働き、
祖父母と家に置いておいてもテレビを見るだけなので
それなら「習い事に通ってお友達と一緒に過ごすほうがいいだろう」ということのようです。
だから「毎日練習しなさい!!!」とか
小学校になっても中学校になってもずっと続ける
ということでもないようです。


小学校も幼稚園も特別なところに行かないかぎり
どこも似たり寄ったりの日本と違い、
中国では子供の親同士の会話では
はどこの幼稚園に行っているのか
どこの小学校に入れるのか、
そして
いくら用意したか、どんなコネを駆使したのか
そんな話題に事欠きません。

どうでもいい話 [生活]

どうでもいい話

ちょっとネタ切れで困っている。それで、他人から見ればどうでもいい話だろうが、まあ「つぶやきブログ」だから許してもらうことにして・・・。

お店に入る。お店のお姉さんを呼ぶ―さて、このときお姉さんを何と呼んだらいいのだろうか。普通は「服务员」だが、編者の感覚では少し生硬な感じがある。何か文革時代みたいだ。ほかには「小姐」「姑娘」「小妹」「美女」―こんな呼びかけが思い浮かぶ。

「小姐」。「特殊なご職業の女性」だと誤解される場合がある。実際、「小姐」と呼ばれたお姉さんが不愉快な顔をして「我不是小姐」と答えたことがあるそうだ。

「姑娘」。時代劇ではよく使われるが。

「美女」。最近はやっている言い方だが、少し大げさかな。

「小妹」。可愛らしく親しみがある。変な誤解も招かない。

ということで、編者としては「小妹」がおススメ。編者自身もよく使う。皆さんはいかが?

中国にあって日本にないサービス2 [生活]

中国にあって日本にないサービス2

前回買い物に使えるキャッシュカード(銀聯カード)の話をしたが、実は中国在住の日本人にとってはさらに便利と言える機能もこのカードは持っている。

一時帰国した時、人民元から日本円に、そしてまた日本円から人民元にとわずらわしいと感じたことはないだろうか。銀聯カードを日本に持って行けば、そんなわずらわしさがなくなるのだ。日本の街角にはどこにでもセブンイレブンがあるが、店内には必ずATM(セブン銀行)があるのはご存知だろう。このATMで銀聯カードで日本円が引き出せるのだ。意味がわからない?つまり、あなたが中国で人民元建ての普通預金口座(中国語では活期)を持っていて、あなたがセブンイレブンのATMで「1万円を引き出したい」と要求すれば、機械のほうで自動的に換算して1万円に相当する人民元をあなたの口座から引き落とし、機械からは1万円が出て来るという次第なのである。
m_Scan.jpg

さらに、大手の日本のデパートや土産物店でも銀聯カードで買い物ができるのだ。「久しぶりに三越か高島屋に行こう」と思ったら、店のドアを注意して見てほしい。そこにはあの銀聯マークが貼ってあるはずだから。

ママ先生奮闘記1 [生活]

今回は、南京在住の日本語の先生でもある三児のママからの投稿です。中国人の方と結婚し、日中の子育ての違いに戸惑いながらも子育てに奮闘する姿は、きっと皆さんの関心を引くでしょう。以後連載していく予定です。

日本の小学校、中国の小学校

いま日本に夏休みで帰省しています。
私は3児の母なのですが(7歳3歳1歳)
この夏休みは長男は日本の小学校に二男は日本の幼稚園に
短期でお世話になっています。

学校は事前に小学校に連絡を取って教育委員会に申し込みをして
「体験入学」という形で2週間通わせてもらいました。

幼稚園はやはり事前に連絡を取って
短期ですが通わせてもらっています。

日本の小学校のママの悩みは子供の人間関係。
中国では放課後は山のような(毎日2~3時間かかります)
宿題をこなさなければいけないので
放課後子供同士で遊ぶようなこともなく
そういう悩みはほとんどありません。
ただクラスでじゃれて怪我させたとかそういったことは少しあります。
男の子なので。

「日本の学校どう?」と長男に聞くと
「簡単、楽しい、先生もやさしい」といいます。
中国の先生は厳しいのですね。

日本でテストを持って帰ってくると間違えたところは
説明してもらっているのかなんなのか赤で直してあって
100点になっています。これはよくわかりません。
日本は全員100点にしなければならないのかしら?

中国では毎日携帯のショートメールで親宛てに
クラスの100点の児童の名前が送られてくる。
親は自分の子供の名前があるかどうか
毎日ピリピリしています。
間違えたところは直して、
親が確認してサインして次の日持たせます。
わからないからできないから間違える訳で
わからないところの説明は親がするんですよ~。
中国の小学生の親は子供と二人三脚。
プレッシャーもあるし忙しいです。

幼稚園のことはまた次回

拝啓ヤマダ電器様 [生活]

拝啓ヤマダ電器様

以下は南京在住の日本語教師のブログからご本人の許可をいただいて転載したものです。

拝啓ヤマダ電器様。あなたの撤退ぶりは見事でした。

まず一月ほど前から、閉店の予告。 更に閉店した後においても2週間ほどの期間であるが、これまでここで買った商品の修理などを行うというメールが顧客に届けられた。

日本では当たり前のようだが、この国では、それはそれは素晴らしいことなのだ。  この国では、予告なしに閉店というのが常識なのだ。朝、いつものようにお店に行ってみると、すでにお店の中はがらんどう。もしくは取り壊し中の風景によく出くわす。  とにかく、新しい店を出すのも早いが壊すことも簡単に行う。 無計画この上ないと思うのだが。中華料理屋が、スッと日本(風)料理屋になっており、それが、しばらくして行ってみると、再び、中華料理屋になっている。   で、面白いことに、あるお店が流行ると、同じ様なお店がその周りにポコポコできる。
で、以前ヤマダ電器には魅力がない。人の流れを呼び込もうとしているのかなとの疑問を持ったが、それと比べたある電器店ビルの中。

そのビル3階
a.jpg
b.jpg
c.jpg
え~~~、どっかの街中にある お土産商店街内って感じ。

で、その5階が、丸亀うどん。
e.jpg


トッピング用のちくわや、イカなどのテンプラ(5元)もいい。麺の歯ごたえ加減もいい。頭の上の白い布(あれ、何というんだろう?)に白いコスチュームも 日本のと同じで素敵だ。 ネギなども置いてあるが、その横に香菜(中華パセリ)もある。う~~ん。やはりここは中国だ。  で、中には、気の利いた若い店員さんがいて、私を見ると日本語で注文を聞いてくる。  お昼時間をずらして行った時、いつもはたくさん並べているテンプラがない。  「え、もう終わったの?(一応中国語で)」と聞くと、すかさず「アゲタテ、アゲタテ。」と言いながら、テンプラを揚げ始めた。以前、どこかの大学の日本語科で、学生していた子何だろうかなと思ってしまう。

ところで、ざるにカビは生えてないだろうな。昆布おにぎりの昆布は三角頭の先っちょに載せてるだけでなく、おにぎりの中まで入れてほしいし、お水を飲むガラスのコップをきれいに洗ってないのが気になるところ。それから、吉野家でもないのに、牛丼があるのには驚いた。

というわけで、ヤマダ電器さん、今度来るときは、電気以外でも人の流れを呼び込めるような魅力的なもので、お願いします。

中国の米がおいしくなった [生活]

中国のお米がおいしくなった


20年以上前に中国に行ったことがある人なら、当時の中国のご飯の味や食感は今でも覚えているだろう。多くの人は「パサパサ、パラパラで食べられなかった」という記憶が残っているに違いない。


抗日戦争期に蒋介石がこんなことを兵士に語ったことがある。「日本の兵隊は冷や飯を食べる。お前たちは暖かい飯でなければいやだと言う。どちらが忍耐強いかは言うまでもない。敵のよいところは学べ」と。これには兵士たちが驚いた。何しろ中国では「冷や飯は乞食も食べない」という話があるぐらいで、冷や飯はまずいものの代表だからである。


しかし、蒋介石の話には隠されている部分がある。日本の米(ジャポニカ種)と中国の米(インディカ種)との違いだ。後者は炊くとパサパサとした食感で「箸でつかもうとしてもパラパラこぼれ落ちる」と言われるほどだ。チャーハンなどには最適だが、そのまま食べたならば、少なくともジャポニカ種の食感に慣れた日本人にはおいしく感じないはずである。まして冷や飯だったら日本の乞食も食べないと断言できる。これに対して、ジャポニカ種は冷えてもおいしい。グルメ漫画『美味しんぼ』にも「コシヒカリの水漬け」なるメニューが登場していたぐらいである。蒋介石は日本の軍学校に留学したことがあるので、日本の米の食感は当然知っていたはずだが、兵士に刺激を与えるためこの事実を隠したと推測できるのである。曹操が「向こうに梅の木があるぞ」と言って兵士の渇きを癒したエピソードを思い出す。


ところが、最近はどうだろう。日本料理店は言うまでもないが、中華の店でも「飯に粘り気がある。日本の米と同じだ」と感じたことはないだろうか。確かに、中国の米は「おいしくなった」(厳密に言えば「日本人の舌に合うようになった」)のである。歴史的に見ると、中国におけるジャポニカ種の栽培は、偽「満州国」に移住してきた朝鮮族が手掛けたのが始まりである。しかし、当時は偽「満州国」居住の日本人しかその味を楽しむことはできず、解放後も全中国に普及するには至らなかった。ジャポニカ種が江南の地でも栽培されるようになったのは、実は最近すなわち改革開放後なのだ。



つまり、生活水準の向上が中国人の舌を変えたのだ。マックやケンタッキー同様、「豊かさ」が新しいものを購入する余裕とそれへの関心を生み出したわけである。もしかしたら、若い世代の中国人は「ジャポニカ種こそが米の味」と思うようになり、冷や飯のうまさも感じるようになるかもしれない。




麻婆豆腐と麻辣豆腐 [生活]

麻婆豆腐と麻辣豆腐

陳健民さんのおかげで、日本では「マーボードーフ」は庶民的中華料理の代表になった。マーボードーフすなわち麻婆豆腐は、清朝末期に四川省成都の劉おばさんが発明した料理で、このおばさんのあだ名、麻婆(あばたのおばさん)を取って麻婆豆腐と言われるようになった。

ところが、中国の料理店のメニューを見ると、いわゆるマーボードーフの表記には二種類があるのだ。一つは麻婆豆腐、もう一つは麻辣(マーラー)豆腐である。皆さんは気づいただろうか。麻辣豆腐は「麻」すなわち山椒のしびれるような辛さを表し、「辣」は唐辛子の辛さを表している。では、なぜこのように二つの表記があるのだろうか。
1605347b1c81a5e04d7a54df7ef0561f.jpg

いろいろ調べてみると、それぞれまったく異なる由縁が出てきた。

近くの四川料理店の女の子の説明―「お肉が入っているのが麻婆豆腐。入っていないのが麻辣豆腐」

趙紫陽のブレインだった厳家其の著書『文化大革命』の中の説明―「紅衛兵が『麻婆豆腐』という名称は封建時代の遺物であるという理由で、『麻辣豆腐』と無理矢理変えさせた」

ほかにも話はあるらしいが、どれも信用できるようで信用できない。それで、私(編者)は成都の元祖麻婆豆腐の店、マーおばさんの店である「陳麻婆豆腐店」に行ってみた。そこで、店の服務員に聞いてみると、

「麻婆豆腐と麻辣豆腐は同じもの。でも、本当は麻婆豆腐という名称はウチの店でしか使えない」とのこと。つまり、「味の素」と「化学調味料」の関係、つまり固有名詞と普通名詞の関係だったわけである。当時はもちろん「商標権」などというものはなく、他の店も勝手に麻婆豆腐という名称を利用したわけである。そして、ほんのちょっぴり良心の咎めを感じた店は、やや似ている麻辣豆腐という名称にしたのかもしれない。

いや現代でもあるかもしれない。バイクの「HONODA」とかスポーツ用品の「ADADAS」とかね(注意して読んでね)。





餃子考 [生活]

餃子考

先日の記事で餃子パーティのご案内を差し上げましたが、その餃子についてのエッセーを南京の大学で教鞭を執っておられたH先生からいただきました。

 餃子ほど庶民に愛される小食(今は小吃という)はない。本場の中国はもとより、台湾、日本でもそうだ。宇都宮や浜松は天下に名高い餃子の街、消費量日本一をめぐって熾烈な戦いを繰り広げている。今回のB1グランプリにも津ギョウザ(三重県)、浜松餃子(静岡県)が出店した。
 知名度はいまいちだが、わが街にも餃子で「まちおこし」をしている地区がある。八幡地区だ。五八店が名を連ねている。今し方のニュースで二六日、二〇一四年度「全国餃子サミット」の開催地に八幡が決まったと放送していた。やはり餃子の街として開催地を誘致するだけの力量があるのだろう。八幡餃子は一九〇一年、官営八幡製鉄所開所時、中国東北部から鉄鉱石が輸入されるようになり、人びとの往来の中で食文化も一緒に転伝したらしい。ということは、かれこれ百年以上の歴史があることになる。以来、鉄都にふさわしい「鉄鍋餃子」が考案され、多種多様の変わり餃子ができ、今日の八幡餃子を産んだ。八幡は労働者の街、B級グルメの餃子が定着していく条件があった。現在、八幡の餃子は鉄鍋系、大陸系、ラーメン系、お母さん系の四系統がある。鉄鍋系は餃子を熱々の鉄鍋に載せて出すスタイル。大陸系は厚手の皮とジューシーな具、ラーメン系は水の代わりに豚骨スープを使った餃子。お母さん系は家庭味が特徴。
 ところで、餃子とは何か?こう上段に振りかぶると答えに窮する。もっともポピュラーな『中日辞典』(小学館)には「普通は水ギョウザなどのゆでたものか蒸したものをいう。日本でよく食べられる焼いたものは鍋貼児という。」とある。浩瀚な『中日大辞典』(大修館書店)は餃餌、餃子、角児、角子、方言の扁食等の異称を紹介して、「小麦粉で作った薄皮に、ひき肉・野菜などを入れて柏餅形に包んだもの。蒸したものは[蒸餃]といい、ゆでたものは[水餃子][煮餃児]北方、煮餑餑といい、平鍋に油をひいたものに並べて片面だけ焼いたものは鍋貼、たっぷり油を流した鍋で揚げたものは[煎餃]という。ギョウザは、山東韻の訛ったもの」と記す。ところが、鍋貼児を辞書で引いてみると、「焼き餃子。参考として鉄なべの上に油をひき、少量の水で蒸し焼きにしたギョウザ。日本のギョウザはこの鍋貼児に相当するが、中国では餃子というと普通、水餃を指す。」(小学館)とする。大修館版は「焼き餃子」とそっけない。ここから判明するのは、日本の焼餃子は餃子とは言わないという事実である。
 そこで八幡餃子の内訳をみると、ほとんどが焼き餃子か揚げ餃子。水餃子はわずかに三軒のみ、蒸し餃子(湯麺餃)にいたっては一軒もない。揚げ餃子はたしかに煎餃といえる。しかし、辞書に従えば焼き餃子は鍋貼児だとせねばならない道理である。鍋に貼りつけ、一辺だけを焼き、あとは蒸気で煮るやり方は確かに似ている。

rcp13_t1.jpg

 しかし、焼き餃子は鍋貼児か、辞書に文句を言うようだが、そこが問題だ。第一に、この二つは大きさが違う。鍋貼児は格段に大きい。第二に包み方が違う。ギョウザは円形に伸ばした皮に餡を置き、半分に折り、指でひねって縁をつないで密封するのに対して、鍋貼児は上下から皮を重ね、形を整えるのである。したがって左右には餡が若干見える格好になる。よって第三に形が違う。餃子は半月形、鍋貼児は長円形。こう考えて来ると、煎餃や鍋貼児を焼き餃子と訳す大方の辞書は間違っているか、正確ではないかのどちらかだといえないか。証拠はある。餃子に扁食の異称があって、鍋貼児にはそれがないことだ。興味のある向きは多くの辞書を引かれたい。その寓意を見抜いた人は、思わず手を打って得心するにちがいない。私は、日本の焼き餃子はわが国固有に進化した餃子であると思う。確かに焼き方は鍋貼児だが、作り方は餃子だ。したがって焼き餃子の中国訳はいまだ存在しないというのが私の率直な言い分だ(笑)。そこで無理に訳すとすれば、炒餃か焼餃がいいのではないか。自信はない。むろん、鍋貼児が餃子の一種であることは認めた上での話である。
 子供の時分、母はよく餃子を作ってくれた。父もジンギスカン鍋が好きで、よく食卓に羊肉を上せた。戦前、双親は新義州(北朝鮮)や安東(丹東)を生活の拠点としていた。そこで知り合ってふたりは結婚した。そういうこともあって中国料理や朝鮮料理が母の拿手菜だった。わが家の餃子はきまって水餃子だった。大人になって、世間に焼き餃子があるのを知って驚いた。ある日、母に訊ねた。「かあさん、うちのギョウザ、なんで焼かないの?」母は「焼きギョウザってね、昨夜食べ残したギョウザを翌日食べるとき、用心のためまた火を通すの。それが焼きギョウザ!そんなものおもてなしに出せるわけがないでしょう」と笑った。五〇年も前の、遠い昔の話である。
 以前、冬至についての雑文を書いたとき、餃子の起源は後漢末の名医・張仲景にまでさかのぼると指摘した。ところが最近発掘された春秋時代の銅器に残された餃子が発見され、また唐代墓のなかからも今のものによく似た餃子が見つかった。そうだとすると、私の説も南北朝時代に生まれたという通説も怪しくなってくる。各地に、それぞれの伝説があるのだろう。水餃は唐代では牢丸、宋代では角子と呼ばれた。そのほか、先の辞書が紹介したさまざまな異称もあった。餃子の名は明代が濫觴で、このころから餛飥(ワンタン)、焼麦(シュウマイ)との違いが明確になっていったようである。
 中国、特に北方では大みそかから正月五日、すなわち「破五」に至るまで餃子は欠かせなかった。今はこれも変化したが、初六にいたるまで米食を忌む習俗があったからである。除夕の夜に食べるのは、旧年と新年が相交わる子の刻。「相交子時」の交子は餃子の諧音、新年の始まりを意味した。よって餃子を愛食する習慣が広まった。これが我が国に伝わらなかったのは、不思議といえば不思議である。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。