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南京日本人教師会主催:第8回100文字作文コンテストの結果 [ニュース]

南京日本人教師会が主催する第8回100文字作文コンテストの結果が公開されました。
今回のテーマは「わ」で、南京をはじめ、安徽省や福建省からも応募があり、総勢約1000人の応募から111点が入選しました。
以下にその結果を公表し、また最優秀賞と一等賞の作品を合わせて公開いたします。

第8回 南京日本人教師会「日本語100文字作文コンテスト」結果発表

2019年度下半期(2020年5月審査)に開催された第8回南京日本人教師会「日本語100文字作文コンテスト」について、結果を発表いたします。今回のテーマは「わ」、応募総数は約1000点(参加校は11)の中から111点が入賞しました。

第8回 日本語100文字作文コンテスト 入賞者
最優秀賞 赵佳婧(南京農業大学)、黄可以(南京暁荘学院)、
     顾益谦(三江学院)、谢雨晴(安徽理工大学)
一等賞  周璟坤(南京暁荘学院)、蒋新池(南京郵電大学)、
     彭宇荣(南京郵電大学)、杜晨岚(南京郵電大学)、
     陈梦琪(厦門大学嘉庚学院)、吴俊楠(安徽理工大学)、
     张浙(南京信息工程大学)、简子珊(南京師範大学)、
     李佼芹(南京旅游学院)
二等賞  马怡俪(南京農業大学)、许可欣(南京農業大学)、
     尤玉兰(南京農業大学)、林雪宜(南京農業大学)、
     郑小莉(南京郵電大学)、卜林玲(南京郵電大学)、
     顾鑫鑫(南京郵電大学)、钱纯(南京郵電大学)、
     苏晓佩(南京郵電大学)、冯敏(南京郵電大学)、
     张敏(南京郵電大学)、刘佳佳(南京暁荘学院)、
     孙馨(南京暁荘学院)、刘星宇(三江学院)、
     钱颜希(三江学院)、夏彦秋(三江学院)、
     常兰兰(三江学院)、潘怡诗(三江学院)、
     鲁琦(南広学院)、柏文(南広学院)、
     陈嘉豪(厦門大学嘉庚学院)、林君(厦門大学嘉庚学院)、
     王云聪(南京信息工程大学)、徐佳蕾(南京師範大学)、
     刘文倩(南京旅游学院)
三等賞  陈文慧(南京農業大学)、邓雪(南京農業大学)、
     林彦初(南京農業大学)、刘君杰(南京農業大学)、
     冯鹏(南京郵電大学)、陈雨欣(南京郵電大学)、
     贺紫昕(南京郵電大学)、黎菁予(南京郵電大学)、
     朱孟慧(南京暁荘学院)、秦雨佳(南京暁荘学院)、
     雎弘睿(南京暁荘学院)、王婷玉(南京暁荘学院)、
     朱禧龙(南京暁荘学院)、程诚(南京暁荘学院)、
     王虹绮(南京暁荘学院)、张雅婷(南京暁荘学院)、
     莫文欣(南京暁荘学院)、夏蕾(三江学院)、
     贝诗怡(三江学院)、蒋颜忆(三江学院)、
     张卓(三江学院)、宋家宁(厦門大学嘉庚学院)、
     钟鑫晶(安徽理工大学)、钱雨濛(南京信息工程大学)、
     毛婉静(南京信息工程大学)、汤秋烨(南京師範大学)、
     葛磊(南京師範大学)、于乾川(南京師範大学)、
     林欣然(南京師範大学)、王洁(南京師範大学)、
     ※順不同です。

優秀賞  43名


<最優秀賞および一等賞の13作品>
※公開するものについて、作者の許可は得てありますが、転載等の際には十分なご配慮をお願いいたします。
最優秀賞 赵佳婧(南京農業大学)
私たちの友達の輪には二つの輪がある。外の輪は全部の友達を表して、中の輪は親しい友達を表している。年齢が増えるに伴って、多くの人は外の輪が大きくなる。しかし、中の輪は、ますます小さくなってしまう。

最優秀賞 黄可以(南京暁荘学院)
私はいつも夜、運動場でジョギングをしている。運動場には大きなトラックがある。一周目を走るとき老人が見えた。二週目を走るときカップルが見えた。生活はジョギングのようだ。回るたびに新しいものが見える。

最優秀賞 顾益谦(三江学院)
20歳の誕生日に食卓で親戚が輪になり私が大人になったことを祝った。奇妙なのは、昔と違って席が一つ空いていたことだ。祖母は「亡くなった爺さんの席よ。この大切な日に爺さんも招待しないとね」と私の頬を撫でた。

最優秀賞 谢雨晴(安徽理工大学)
A「あの留学生の名前、わかる?」
B「ワカタ。」
A「で、彼の名前は?」
B「言っただろう、ワカタ。」
A「だから、名前はなに?」
B「ワカタ!わかったじゃない、ワカタだよ!」

一等賞 周璟坤(南京暁荘学院)
明後日は初めての試験なので緊張していました。そこで私は一生懸命復習しました。二日後、教科書の語彙と文法は全部覚えましたので、自信満々でした。試験の時、私は試験用紙に「はたしは…」と書きました。

一等賞 蒋新池(南京郵電大学)
子供の頃友達と遊んで、和が好きに。社会に出て人間関係に困って、和が嫌いに。結婚して愛してる人と生活して、和が好きに。時々喧嘩もして、和が嫌いに。年を取って互いに理解でき、和が好きに。やはり、和が好き。

一等賞 彭宇荣(南京郵電大学)
なぜ輪は丸いのか、四角ではないのか。角がないので、動くのが速いと聞いた。人間もそうかもしれない。角を磨いてこそ、この世界で円滑に生きることができるようになり、本当に大人になれると思っている。

一等賞 杜晨岚(南京郵電大学)
生まれ立ての赤ちゃんは「わあわあ」という声を出して、地球というわに入ってくる。いちわのハトにせよ、いちわの稲にせよ、皆わの一部として欠かせないものだ。地球のわを保つために、バランスをとるわよ。

一等賞 陈梦琪(厦門大学嘉庚学院)
先日姉が急に子供を産んだ。出産予定日より丸一ヶ月早いので、みんな心配していた。病室で赤ちゃんが「わあ」と泣き出すのを聞いて、大人たちは緊張が解けて笑って、姉と子供をめぐって雑談を始めた。家族の和を感じた。

一等賞 吴俊楠(安徽理工大学)
この夏は、蘇州へ勉強に行くつもりだ。今日、家を借りたくて見に行った。「和室」だ。その家は、とても大きいが、家賃は高い。今、考え中だ。ところで、、、「和室」という事は、トイレも「和式」なのだろうか??

一等賞 张浙(南京信息工程大学)
子供の頃、鶏が怖かった。生意気な身振り、鋭い嘴、攻撃性いっぱいだ。庭に三羽も飼った。ある日、悪戯をしたいと思って爆竹を庭に投げて、散々に突つかれた。それを知った父はその鶏を料理してしまい、二羽が残った。

一等賞 简子珊(南京師範大学)
情報時代である現在、われわれはインターネットでの発言に深く気を配らなければならない。なぜなら、ネットでの情報は伝播するスピードが早く、噂は輪に輪を掛けて広がっている可能性もあるからである。

一等賞 李佼芹(南京旅游学院)
「わ」という仮名は、初めて、見ましたが、ダンスのスカートをはいて踊る美人のような感じがします。とても、ぴょんぴょんとしていて、美しいので、思わず、「わー」という声が出てしまいます。


参考までに、これまで100文字作文コンテストの記事です
第1回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2013-12-16
第2回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2014-05-27
第3回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2015-05-18
第4回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2016-06-12
第5回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2017-06-23
第6回
https://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2018-05-29
第7回
https://nanjing-ribenren.blog.ss-blog.jp/2019-06-07


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南京日本人教師会主催:第7回100文字作文コンテストの結果 [ニュース]

南京日本人教師会が主催する第7回100文字作文コンテストの結果が公開されました。
今回のテーマは「笑う」で、南京をはじめ、南通、泰州、山東省の済南、安徽省の合肥、福建省の厦門からも応募があり、総勢約1200人の応募から135点が入選しました。
以下にその結果を公表し、また最優秀賞と一等賞の作品を合わせて公開いたします。


第7回 南京日本人教師会「日本語100文字作文コンテスト」結果発表

2018年度下半期(2019年4月審査)に開催された第7回南京日本人教師会「日本語100文字作文コンテスト」について、結果を発表いたします。今回のテーマは「笑う」、応募総数は約1200点(参加校は16)の中から135点が入賞しました。

第7回 日本語100文字作文コンテスト 入賞者

最優秀賞 刘倩(南京暁荘学院)
一等賞  沈月(南京暁荘学院)、林瑞洁(南京信息工程大学)、
     印宏源(南京郵電大学)、施佳斌(南京三江学院)、
     葛广宝(南京三江学院)
二等賞  于子芸(厦門大学嘉庚学院)、蔡琳涵(厦門大学嘉庚学院)、
     魏菁菁(厦門大学嘉庚学院)、江仕赟(泰州市民興実験中学)、
     张吴楚(南京暁荘学院)、尤文慧(南京暁荘学院)、
     薛佳眉(南京郵電大学)、代权素(南京郵電大学)、
     杜晨岚(南京郵電大学)、薛煦尧(南京郵電大学)、
     营文艺(南京師範大学)、殷梦旭(南京師範大学)、
     孙天娇(南通職業大学)、乐伊凡(南京農業大学)、
     雷欣宜(南京農業大学)、冯诗雨(南京三江学院)、
     梅舒琴(南京三江学院)、钱玥(南京三江学院)、
     叶旷铭(南京林業大学)、王嘉澍(南京林業大学)、
     赵清荣(南京林業大学)、钱文宇(南京林業大学南方学院)、
     宋婷婷(南京林業大学南方学院)
三等賞  柳泽琴(厦門大学嘉庚学院)、李灿(泰州市民興実験中学)、
     夏晓萌(泰州市民興実験中学)、卫嘉琪(南京暁荘学院)、
     杨丽珍(南京暁荘学院)、陈明媚(南京暁荘学院)、
     冀莉蓉(南京暁荘学院)、荣蓉(南京暁荘学院)、
     章瑜(南京暁荘学院)、朱静怡(南京暁荘学院)、
     许静(南京旅游職業学院)、倪乐思(南広学院)、
     陈婧雯(南広学院)、李兰(南京信息工程大学)、
     林鹿鸣(南京信息工程大学)、魏啸(南京信息工程大学)、
     郭婷(南京郵電大学)、李炜炜(南京郵電大学)、
     邓书欢(南京郵電大学)、鲍玉雯(南京郵電大学)、
     潘之焕(南京郵電大学)、吴婧妍(南京郵電大学)、
     刘志涛(南京郵電大学)、李娇娇(南京師範大学)、
     徐妙钰(南京師範大学)、李思晴(南通技師学院)、
     许可欣(南京農業大学)、刘婉玲(南京農業大学)、
     李逸升(南京農業大学)、张欣雨(南京農業大学)、
     简媛(南京林業大学)、陈俊琛(南京林業大学)、
     么琳卓(南京林業大学)、仲玉(南京林業大学)、
     祁书臣(南京林業大学)、沈冰青(南京林業大学)、
     苗雪纯(南京林業大学)、宋伟(南京林業大学)、
     孙昕玥(南京林業大学南方学院)、谢瑶(南京林業大学南方学院)、
     陈欢(安徽理工大学)、谢雨晴(安徽理工大学)
   ※順不同です。同じ賞の中で前のほうが点数が高いということはありません。

優秀賞  64名


<最優秀賞および一等賞、二等賞の6作品>
※公開するものについて、作者の許可は得てありますが、転載等の際には十分なご配慮をお願いいたします。

最優秀賞 刘倩(南京暁荘学院)
父はあまり笑わないので、私のことが好きではないと思っていた。だから父と親しくしたくなかった。でも、父と一緒の写真を見ると、父はいつも私の後ろに立ってにこにこしていた。見えない微笑みは父の愛だった。

一等賞 沈月(南京暁荘学院)
祖母の70歳の誕生日を祝うために、皆が揃った。皆は祖母に誕生日の歌を歌った。その後、祖母はろうそくの火を吹き消そうとしたが、力任せに吹いたので、入れ歯を吹き出してしまった。皆は思わず笑い出した。

一等賞 林瑞洁(南京信息工程大学)
バスの中で、可愛い娘が「買いたい~」パパに甘えた。「ゲームをしようか。笑わなきゃ買う。笑ったら買わないよ」「はい」「おもちゃを買おう」娘はニコニコして頷く。「ほら、笑ったね」娘がパパに一本とられた。

一等賞 印宏源(南京郵電大学)
高橋さんは女子だ。田中くんは男子だ。高橋さんと田中くんは同じテーブルにいます。田中くんは疑問符を書いた。高橋さんが見て、感嘆符を書いた。彼らは笑った。私たちにはわからない。しかし、恋が始まった。

一等賞 施佳斌(南京三江学院)
今学期、私たちの作文の先生が替わった。彼が一稿は見てくれる。しかし、二稿からは丁重にお願いしないと教えてくれない。何人も失敗した。最初の人がその難関を突破した時、クラス中が歓声を挙げて、先生も笑った。

一等賞 葛广宝(南京三江学院)
子供のころによく私と喧嘩した姉が元気な子を産んだ。その頃、私をいじめた彼女は悪魔だった。だが、田舎に帰った時、子供を抱いて頭を傾けながら笑顔という彼女の姿を見た。陽光が彼女の顔に映り、その姿は天使だった。


参考までに、これまで100文字作文コンテストの記事です
第1回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2013-12-16
第2回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2014-05-27
第3回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2015-05-18
第4回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2016-06-12
第5回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2017-06-23
第6回
https://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2018-05-29




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南京日本人教師会主催:第6回100文字作文コンテストの結果 [ニュース]

南京日本人教師会が主催する第6回100文字作文コンテストの結果が公開されました。
今回のテーマは「あまい」で、南京をはじめ、南通、山東省の済南、広東省の広州からも応募があり、総勢約1000人の応募から78点が入選しました。
以下にその結果を公表し、また最優秀賞と一等賞、二等賞の作品を合わせて公開いたします。


2017年度下半期(2018年4月審査)に開催された第6回南京日本人教師会「日本語100文字作文コンテスト」について、結果を発表いたします。今回のテーマは「あまい」、応募総数は約1000点(参加大学は11)の中から78点が入賞しました。

第6回 日本語100文字作文コンテスト 入賞者

最優秀賞 朱斐玲(南京三江学院)
一等賞  谢海(広州大学)、陈贝思(南京林業大学)、
     杨晶晶(南京林業大学)、魏圆梦(南京三江学院)
二等賞  张茹(南京暁荘学院)、许珊珊(南通職業大学)、
     武雨薇(南京旅游職業学院)、陈雪(南京林業大学)、
     吕诗佳(南京師範大学)、张议郡(南京三江学院)、
     徐婷玉(南京三江学院)、陆婷婷(南京郵電大学)、
     王航政(南京郵電大学)、石卓(南京郵電大学)
三等賞  莫晓艳(広州大学)、郑志华(広州大学)、
     黄洁欢(広州大学)、陈嘉琪(南京暁荘学院)、
     刘晴媛(南京暁荘学院)、马静(南京暁荘学院)、
     田宇瑄(南京暁荘学院)、朱悦(南京暁荘学院)、
     李敏(南京暁荘学院)、荣蓉(南京暁荘学院)、
     陈晋艺(南京旅游職業学院)、戴新怡(南京林業大学)、
     卢香顺(南京林業大学)、张静怡(南京師範大学)、
     周文娟(南京師範大学)、吴欧晨(南京郵電大学)、
     杨龙生(南京郵電大学)、孟雪(南京信息工程大学)
 ※順不同です。同じ賞の中で前のほうが点数が高いということはありません。

優秀賞  45名

<最優秀賞および一等賞、二等賞の15作品>
※公開するものについて、作者の許可は得てありますが、転載等の際には十分なご配慮をお願いいたします。

最優秀賞 朱斐玲(南京三江学院)
可愛い娘がママに「どうしてパパと結婚したの。」と聞いた。ママは「その時、パパの甘い言葉に騙されたのよ。」と答えた。「えっ、甘い言葉って、美味しいの。」ママは、「あんた、本当に食いしん坊だね。」と微笑んだ。

一等賞 谢海(広州大学)
ある朝、友達に「おい、起きろ、授業に遅れるよ」と起こされた。慌てて朝食もとらないで教室に飛んで行ったら、誰もいなかった。なんだか怪しいと思って、やっと4月1日だと気がついた。からかわれた私、あまいなあ……

一等賞 陈贝思(南京林業大学)
ゲームを通して私は騙されたが、ネットフレンドの一人お姉ちゃんがいい人で助けてくれた。私は彼女に信用されて幸せで甘い。男性はみんな彼女が好きだ。最近、彼女は男性だと知った。私は若くて甘い人だ。

一等賞 杨晶晶(南京林業大学)
子どもの頃、私は母に飴を一つもらった。母は春のような優しい視線を注いでくれた。大人になると、また母に飴を一つもらった。母は夏のような暖かい微笑を浮かべてくれた。母は去ってしまった、ただ二つ飴が残った。

一等賞 魏圆梦(南京三江学院)
兄は子供の虫歯が心配で、甥に甘い物をあげるのを禁止した。私は兄の目を盗んで甥にチョコレートをこっそりあげた。彼は一口かじって、すぐに目を丸くした。くすくす笑って、振り返ると、兄がぐっと私を睨んでいた。

二等賞 张茹(南京暁荘学院)
「お父さん、甘いものが好きですか」「いいえ、うちは宿遷人ですから、塩辛いものが大好きだよ」「へえ、じゃあ、どうしてうちの料理はいつも甘いの」「母さんは蘇州人なので、甘いものが好きなんだ。仕方がないな」

二等賞 许珊珊(南通職業大学)
本は甘い、知識は甘い。読書も甘い。午後、太陽の光が私の机の上にあった。そして私は本棚から本を1冊取った。甘い光の下で甘い本を楽しむ。ゆっくりと太陽の光の足跡が消えていった。私も本を置いた。

二等賞 武雨薇(南京旅游職業学院)
お父さんはちょっとつまらない人です。ロマンチックなことは一度もやったことないです。でもわが家にまさるところがないです。あまい言葉より行動のほうが大事です。私にそのように思えてなりません。

二等賞 陈雪(南京林業大学)
泥棒はある部屋に入った。バラの甘い香りがして、その隣にはある女の子の写真が置いてある。「美しい」と…。電話番号を書いておいた。恋が始まると泥棒は思った。数日後、「またか」と泥棒は警察官に言われた。

二等賞 吕诗佳(南京師範大学)
ある日、夕食を食べている時、隣の恋人同士の男の子が牛肉を取り分けて女の子のお皿に置いた。「僕の最愛の物をあげるよ」「君の最愛は私じゃないの?」「牛肉と話しているから君は口出しするな」ああ、恋の甘みだなあ。

二等賞 张议郡(南京三江学院)
おじさんの葬式で、彼が最後に作ったお菓子を食べた父さんは、「甘い甘い」と言いながら、泪を流していた。きっとお菓子がおいしくて、神様に呼び出されてしまったのだろう。今もあの世でお菓子を作っているのかな。

二等賞 徐婷玉(南京三江学院)
いくつかの葡萄を口に入れては店主にどうと聞かれたが、頭を振って店を出た。げっぷをしながら彼は、十番目の店に来た。「葡萄は甘いですか?」「甘くないなら、お金はいらない。」「じゃ、甘くない物をください。」

二等賞 陆婷婷(南京郵電大学)、、
ある日、たくさんの柴を担いだおじいさんが鼻歌まじりで山から歩いて帰りました。そして、家に着いた時、「しまった、縄目が甘くなってしまった。」とおじいさんが叫びました。柴は少ししか残っていませんでした。

二等賞 王航政(南京郵電大学)
「あまいよ。」四歳、もらった飴をなめた時。「あまいぞっ!」二十四歳、上司に叱られる途中。「あまくない?」四十四歳、初料理を家内に突っ込まれた瞬間。「あまいなぁ。」六十六歳、庭で花見する時。一生あまい。

二等賞 石卓(南京郵電大学)
母はよく「恋をする時、慎重に。甘い言葉だけを聞くな。」と言っていた。しかし、恋の大部分は甘い言葉ではないだろうか。私は甘い言葉が大好きだ。甘い言葉を聞きたい。残念なことに、私にこれらを言う人はいない。

参考までに、これまで100文字作文コンテストの記事です
第1回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2013-12-16
第2回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2014-05-27
第3回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2015-05-18
第4回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2016-06-12
第5回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2017-06-23


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南京日本人教師会主催:第5回100文字作文コンテストの結果 [ニュース]

南京日本人教師会が主催する第5回100文字作文コンテストの結果が公開されました。
今回のテーマは「カレンダー」で、南京をはじめ、周辺の揚州や南通からも応募があり、総勢約1000人の応募から66点が入選しました。
以下にその結果を公表し、また最優秀賞と一等賞、二等賞の作品を合わせて公開いたします。


第5回 南京日本人教師会「日本語100文字作文コンテスト」結果発表

2016年度下半期に開催された第5南京日本人教師会「日本語100文字作文コンテスト」について、結果を発表いたします。今回のテーマは「カレンダー」、応募総数は約1000点(参加大学は10)の中から66点が入賞しました。

第5回 日本語100文字作文コンテスト 入賞者

最優秀賞 徐静怡(南京理工大学)
一等賞  农湘琴(南京暁荘学院)
二等賞  程研(南京郵電大学)、徐朝(南京郵電大学)、沈文婷(三江学院)、
     林雨晴(南京師範大学)、赵素燕(南京信息工程大学)、
     敬博芳菲(南京暁荘学院)、马静(南京暁荘学院)
三等賞  游凝(南京郵電大学)、梅露(南京郵電大学)、刘诗瑶(南京郵電大学)、
     杨嘉璐(南京郵電大学)、张安南(揚州大学)、唐贵君(三江学院)、
     缪茜茜(南京師範大学)、杨宏帅(南京師範大学)、李倩(南京師範大学)、
     杜存银(南京理工大学)、蒋春丽(南京旅游学院)、
     尹思源(南京信息工程大学)、汪丽丽(南京信息工程大学)、
     崔之韵(南京信息工程大学)、杨吉慷(南京信息工程大学 滨江学院)、
     曹玲(南京暁荘学院)、龚雨婷(南京暁荘学院)、赵胥华(南京暁荘学院)、
     芮逸凌(南京暁荘学院)、傅思佳(南京暁荘学院)、徐敏(南京暁荘学院)、
     丁怡(南京暁荘学院)、戴佳翌(南京暁荘学院)、叶潇泉(南京暁荘学院)
   ※順不同です。同じ賞の中で前のほうが点数が高いということはありません。

優秀賞 33名

<最優秀賞および一等賞、二等賞の9作品>
※公開するものについて、作者の許可は得てありますが、転載等の際には十分なご配慮をお願いいたします。

最優秀賞 徐静怡(南京理工大学)
猫が逃げた日は去年の三月三日だった。授業が終わった後、寮に帰ると、どこにも見当たらなかった。今年の三月のある日、寝室のドアを開けると、カレンダーの隣にいる猫が急に目に入った。ちょうど一年の旅だったね。お帰り。

一等賞 农湘琴(南京暁荘学院)
寮の庭に猫が住んでいる。最近子供が生まれた。子猫の鳴き声が聞こえてから今日で6日目だ。子猫たちはみんなニャーニャー鳴いて元気だ。あと1日。カレンダーで、あとひとつだけまだ知らない曜日がある。

二等賞 程研(南京郵電大学)
自然は時を筆として木の幹に年輪を刻む。人間は知恵を筆として紙に時の足跡を記す。カレンダーはそのような存在ではないだろうか。それはまるで時の使者のように、どう時間を利用するかを人間に喚起させるものだ。

二等賞 徐朝(南京郵電大学)
ようこそなぞなぞクラスへ、今日は一つ難しい謎を用意しております。では、聞いてください。それはちょっと珍しいものであり、三百着以上着ています。毎日一着ずつ脱がして、大晦日には一着しか残さず。それは何。

二等賞 沈文婷(三江学院)
店長が私にバイトの時間を聞いた。カレンダーを見て30時間やったと返事した。夜、携帯にメールと400元が届き、「君はこの仕事に向いていない」と書いてあった。一瞬、60時間やったと答えなかったことを後悔した。

二等賞 林雨晴(南京師範大学)
歯が生えかわった時、母に「子どもの日まで飴禁止」と言われた。まだ半年ぐらいあった。あれこれ考えたらアイデアが浮かんだ。カレンダーを子どもの日まで捲り、母に見せて「飴頂戴」と言った。結局、母に叱られた。

二等賞 赵素燕(南京信息工程大学)
僕、カレンダーだ。僕の家には双子がいる。姉は毎日充実してる。夜、ペンで僕に○をつけてる。妹は遊んでばかりだ。一ヶ月毎に僕を捲る 。大晦日は別れの日だ。姉は「さよなら」と言った。妹はわざと僕を見なかった。

二等賞 敬博芳菲(南京暁荘学院)
「兄さん、このカレンダー捨ててもいい?」「いいよ」「ねえ、カレンダーはどこ?」「あのぼろぼろのカレンダー?もう捨てたよ」「え、うそ。あの中にお金を隠していたんだけど…」「えぇ、そんな…」

二等賞 马静(南京暁荘学院)
あっ、今日は日曜日です。慌ててアルバイトに行きました。「あれ?あなたは今日、お休みですよ」「えっ、今日は日曜日でしょう?」「いいえ、今日は土曜日です」私が見たカレンダーは去年のカレンダーでした。


参考までに、これまで100文字作文コンテストの記事です
第1回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2013-12-16
第2回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2014-05-27
第3回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2015-05-18
第4回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2016-06-12

小林会員の出版予定本の抜粋 [ニュース]

本会の小林会員による出版予定の本の原稿です。

「東京オリンピックは なぜ中止された?~日本経済崩壊させた『中国戦争』」
抜粋1 (第1章「鋼材六百トンなかった」より)

「メーンスタジアム建設用鋼材六百トンを手配できないと分かった事が、決め手でした」
 主催者である東京市(当時)の五輪担当者らは、一九三八年七月一六日にオリンピック組織委員会が、四〇年東京大会開催の中止・返上を決議した内部事情をこう語ります。返上とその理由はすでに一カ月ほど前、五輪組委関係者らが新聞紙上でほのめかしていました。
小林01.jpg
1940年オリンピック東京大会の競技場完成予想図
 東京市としては、十二万人収容の新スタジアム建設は、絶対に譲れない線だったのです。これに対し大蔵省(当時)は前月末、「既存施設だけを使うのでなければ、起債によるオリンピック予算調達を認めない」強い姿勢をみせていました。東京市は当初、スタジアム建設資材として鋼材一千トンを請求。これを、一部木造にするという安全性に疑問符が付くような設計変更の荒業を使い、六百トンにまで減らしました。それさえも、大蔵省は認めなかったのです。昭和十三年六月二五日付の読売新聞は見出しで「組委会、大むくれ」と報じました。
 小橋一太・東京市長は当時、「オリンピックを国策に譲った」と苦渋を吐露しています。当時の日本の粗鋼生産は年約五百万トン以上ありました。その数千分の一程度でさえ、国家行事であるオリンピックに拠出できない、国策があったのです。
【総動員法と鉄製品禁止】
 東京市長のいう国策とは、一九三八年四月からの総動員法の施行と、これに基づいて重要物資を国内各分野に配分する「物資動員計画」(物動)です。前者は、その第一条で次にように国家総動員を定義しています。
「国家総動員とは、戦時(戦時に準ずる事変の場合をふくむ)に際し、国防目的の達成のため、国の全力をもっとも有効に発揮せしむるよう人的および物的資源を運用するをいう」 
 一九三八年六月二三日には、次の内容の閣議決定が出ます。
 「戦争遂行に直接必要ならざる土木建築工事は現に着手中のものと雖も之を中止す」
 戦争と関係ないオリンピックスタジアム建設などもってのほかになったのです。
 これより先、日中戦争が本格化した一九三七年十月、すでに鉄の消費統制が始まっていました。「昭和十二年鉄鋼工作物築造許可規則」が公布されたのです。軍需物資以外の製造には鋼・銑鉄、 鋼くずを使用してはならないという厳しいものでした。子供の玩具から文鎮、鉛筆削り、灰皿、コンパクトからタライ、火鉢から広告塔のネオンサインやエレベーター、交通標識や欄干・手スリまでおよそ百五〇品目の製造が禁止になりました。日中戦争の悪影響は、国民生活の隅々にまで及んだのです(藤原彰著「昭和の歴史第5巻日中本格戦争」)。
【軍需生産力、大拡大】
 日中戦争の本格化とともに、昭和十二年度(~十三年三月まで)の軍事予算は、陸海軍合計で四八億円あまりに達しました。陸軍だけでも二三億円。これは従来の一般会計国家予算に計上されていた陸軍予算の約十倍。この巨額予算は、大幅な増員と軍用機を含む兵器・弾薬の増産および生産設備拡充に投じられます。
 例えば、陸軍の通常兵器生産力拡大のため、従来四カ所だけだった造兵廠(兵器工場)が八カ所に増えたほか、補給廠も倍の八カ所に増えます。これらに兵器行政本部および技術開発研究所十カ所が加わり、総員二五万人七千人が勤務する「大企業」になりました。
 さらに航空機部門が充実され、航空本部の下に、航空工廠一カ所、技術研究所八カ所、補給廠が設けられます。これに電波兵器(レーダーなど)を研究する陸軍技術研究所の新設、従来からの燃料廠、被服廠、糧秣廠、衛生材料廠、獣医資材廠などの拡大充実が加わり。陸軍だけで傘下の軍需生産労働力は、百五〇万人の大所帯に膨れ上がります。
 一九三六年度まで、全工業に占める兵器生産の比率は四~五%にすぎませんでした。これが三八年度に十二%に跳ね上がります。対英米開戦の四一年度には三〇%、四四年度には五八%とピークに達します。すでに「十二%年度」、鉛筆削りさえも生産禁止になったのです。「五八%年度」の国民生活の貧しさは、現代人の想像を絶します。
【鉄、過半が輸入】
 兵器はじめ軍需品の大増産に最も必要だった物資が、五輪スタジアム資材と重なる鋼材です。鋼材は、当時の「産業のコメ」でした。日本の「コメ」生産は、第一次大戦中から原材料を輸入に依存していました。アメリカから安価で良質のスクラップ、英領インドから安い銑鉄を大量に輸入できたからです(銑鉄=鉄鉱石を還元してできる炭素含有率が高く、硬いが割れやすく構造材に向かない鉄)。
 当時の日本製鋼材は、主に中国と英領マレー半島から輸入される鉄鉱石から作られる銑鉄に、スクラップ五〇~六〇%を混入して平炉で製造されていました(中原茂敏著「大東亜補給戦」参照)。日本では、質が高く大量の鉄鉱石もスクラップも産出していなかったのです。もし、英米と戦端を開けば、原材料輸入の途絶で、日本の鋼材生産=兵器生産は壊滅的打撃を受けることは明白でした。 
 特に米国産スクラップは、石油と違い、東南アジアや中国を占領しても獲得できる見込みがまったくない物資でした。対米戦争を開始し一定時間が経過すれば、日本軍は竹槍とベニヤ製特攻艇で戦うことなるのは、開戦前から明白だったのです。そもそも日本の粗鋼生産力=国力は、連合国主要メンバーのどの一国よりも少量でした(グラフ1)。連合国の兵器廠と化したアメリカの生産力が、戦時生産に集中された場合の一例がグラフ2です。輸送力の要である船舶建造量で、日本に十倍以上の差をつけました。さらに、この事実は日米開戦前、日本側に予測されていたのです。
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抜粋2 「日本の主戦場=中国」(「はじめ」により)
 日本人の多くは、太平洋戦争の主戦場を、南方(南西太平洋と東南アジア)だったと誤解しています。確かにパールハーバー空襲で華々しく開戦。その後、フィリピン、マレー半島、ビルマ(現ミャンマー)、インドネシアを占領した後、ミッドウェー海戦とガダルカナル島争奪戦敗退で転換点を迎え、サイパンなど各島守備軍玉砕を経て、フィリピン陸海戦での大敗で日本の敗戦は決定的になりました。いかにも主戦場にみえます。
 しかし対英米開戦時、日本陸軍総兵力の三分の二(二百十万中、百四二万)は、どこに駐屯していたでしょうか?
 陸軍臨時軍事費(戦争予算)の海外地域別配分が最も多かったのは、どの地域だったのでしょうか?いずれも中国大陸(満洲・朝鮮含む)でした(グラフ①参照)。
 「太平洋戦争の天王山」といわれたフィリピン攻防戦の最中でも、陸軍は中国で同軍史上最大規模の兵力五〇万を動員、連合軍空軍基地群への一大攻勢「一号作戦」(通称・大陸打通作戦)を戦っていました。同年に、マリアナ沖やレイテ沖で大海戦を展開した海軍臨時軍事費の海外配分も、中国戦線向けだけで全体の約半分を費やしていたのです(グラフ②参照)。
 「天王山」を目前にひかえながら、最大規模の膨大な人員、物資、資金が「大陸打通」に投じられた理由は、中国大陸での作戦が、帝国陸軍にとって天王山防衛に勝るとも劣らぬ重要な軍事行動だったからに他なりません。中国戦線の陸軍全戦時予算に占める比率は一九四四年、四八%に達しました。
こうしたマクロの視点でみれば、中国戦線は間違いなく、第二次大戦期を通じて日本にとっての主戦場だったのです。私は、中国大陸(ビルマ、インド東北部含む)での日本軍対連合軍の戦争(一九四一年十二月八日~四五年八月一五日)を、勝手に「中国戦争」と呼んでいます。ロシアがソビエト連邦時代から、第二次大戦欧州東部戦線の戦争を「大祖国戦争」と呼んでいるのに倣いました。日中戦争は中国戦争に拡大し、日本の戦場での敗北を決定したのです。
 本書では、中国戦線と南方戦線の日本軍同士の物資の取り合い、さらに戦中にも天下り先づくりに精をだす軍人の醜態もふくめ、中国が日本にとっての主戦場だったことを明らかにします。
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グラフ上左、出典:森本忠夫著「魔性の歴史~マクロ経営学からみた太平洋戦争」参照
グラフ上右 出典:同じ

抜粋3 
「満洲国はポンドで買え」(第3章 満洲事変、ボタンの掛け違い英敵視より)
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右から、リース=ロス英政府主席財政顧問(当時)、宋士文・中国蔵相(同)、満洲国執政に就任する溥儀
 「満洲国は、中国政府から買いなさい。資金は貸与しましょう」
 一九三五年九月に来日したイギリスのフレデリック・リース=ロス政府首席財政顧問(一八八七~一九六八年)は、英日協調外交推進のため、言い回しはこれほど露骨ではありませんが、右の内容の大胆な提案を、日本政府に行いました。資金を提供した上、当時の世界の主要国が一国も承認していなかった満洲国を承認してもよいというのです。リース=ロス顧問は、一九〇九年に英大蔵省入省、三二年からは国際連盟経済委員会の英代表、三六年に同委議長を歴任した国際財政家です。
 リース=ロス顧問が広田弘毅外相、高橋是清蔵相らと会って示した英政府案は、日本が中国の通貨改革に資金協力をする代わりに、日本の傀儡国家・満洲国の独立を、中国政府に黙認してもらうものでした。資金一千万ポンド(約三億円=現在の六千億円相当の価値)を日本に貸与、これを日本から満洲国へ供与して、同国を通じて中国政府に渡して独立を認めてもらおうというのです。
リース=ロス顧問の極東訪問の最大の目的は、中国の通貨改革の援助でした。中国では当時、主に銀本位制の通貨数十種類が入り乱れて使われていたのです。一九二〇年代末、一度は国内の政治統一を完成した国民党政権にとって、統一を実質化するための通貨統一は焦眉の急でした。これと引き換えならば、満洲国独立を中国が少なくとも当面は黙認するだろうと、イギリス政府は腹づもりをしたのです。
 日本の侵略を、中国に追認させようというのです。日英同盟以来のイギリスの日本に対する好意にみえますが、それだけではありません。第一の目的は、金本位制から離脱してまもない英ポンド経済圏に、当時でも世界最大級市場の中国を組み込む計画です。日本は、借款を受ければ元利を償還しなければなりません。一番得をするのは、英国なのです。
 しかし日本側の反応は冷たいものでした。
 「いまさら中国に満州国を承認してもらう必要はない」(広田外相)
 第三国はだまっていろ、というのです。日露戦争時、英米で日本の戦時国債募集に奔走した高橋是清蔵相の反応は、なぜか記録に残っていません。高橋蔵相は翌年二月、二二六事件で反乱軍の凶弾に斃れます。
 リース=ロス顧問は、気を取り直して中国へ向かいました。中国では、宋子文蔵相(蒋介石の義兄。米コロンビア大学卒、経済学博士)らが待ちかねていたのです。顧問らを交えた統一通貨政策立案集団を編成し、十月末までに細目を詰め、十一月三日に断行しました。一九三五年十一月四日以降、中央・中国・交通の政府系三銀行の発行紙幣をもって、国内唯一の兌換通貨法幣としたのです。
【亡国寸前の中国、救った幣制改革】
「もし今次の抗戦が一九三五年(幣制改革の年)以前に発生したならば、中国はもっと早く敗亡し、或はすでに(屈)辱を忍んで和を求めていたかもしれない」
「現在は幸にして法幣(中国統一通貨)制度が存在し‥‥これによって狂風暴雨の局面に際し、良好な金融及び経済的秩序を維持し、長期抗戦の基礎を定めることができる」
 当時の中国政府最高指導者の蒋介石は、一九三九年初頭に刊行した著書「抗戦と建国」で右のように述べています。通貨改革がなければ、中国は「亡国か降服していた」のです。 
 中国では従来、さまざまな通貨が入り乱れて流通していた理由の第一は、政治的統一の遅れでした。さらに経済の中心である沿岸部が、英仏など帝国主義諸国により経済、金融的に分割支配されていたためです。
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事実上の中国中央銀行だった旧香港上海銀行本店ビル(現・浦東開発銀行本店ビル)
 中国通貨改革の最大の決め手は、当時中国最大手行の地位にあり、全関税収入を管理し、事実上の中国中央銀行だった香港上海銀行(現HSBC)を筆頭とする在中国外銀が手持ちの現銀・銀貨を、法幣と交換してくれるかでした。英資の香港上海銀は、スムーズに応じます。英政府は、追い討ちをかけるように三五年十一月四日以降の在華イギリス人による銀の通貨としての使用を禁止しました。外銀は、邦銀を除き、三六年一月十日までに、すべての銀を法幣に換えます。国民党政府は、これに預金でもないのに年利五%を支給し応えました。金額が莫大でしたから、外銀に願ってもないビジネスになり、国民党政府への信頼を高めます。
中国は、対日本格開戦以来、戦場では日本軍に押され続け圧倒的に不利でしたが、外為相場は暴落しません。一元=十四・五ペンス(一ペンス=二百四〇分の一ポンド)の公定相場は、首都南京が陥落し、臨時首都・武漢に日本軍が迫り、中国政府が重慶までの再遷都を迫れられていた一九三八年六月、同九ペンスへ下がっただけです。イギリスの支援のたまものでした。事実上英資本が支配していた上海租界で、中国発券三行が、同支援を背景に必死で法幣を買い支えていたのです。
 一方日本円は日中本格開戦後、従来百元=百円だった相場が円安基調を継続。一九三八年五月には、百元=百三四円の最安値を付け、中国駐留日本軍の財布を直撃しました。さらに、日本国内の経済計画も支障をきたします。
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当時の日本銀行券(左)と中央銀行発券の法幣

南京日本人教師会主催:第4回100文字作文コンテストの結果 [ニュース]

南京日本人教師会が主催する第4回100文字作文コンテストの結果が公開されました。
今回のテーマは「ドキドキ」で、南京をはじめ、周辺の揚州や南通、遠くは山東省や貴州省からも応募があり、総勢約1000人の応募から98点が入選しました。
以下にその結果を公表し、また最優秀賞と一等賞の作品を合わせて公開いたします。

第4回 南京日本人教師会「日本語100文字作文コンテスト」結果発表

2015年度下半期に開催された第4回南京日本人教師会「日本語100文字作文コンテスト」について、結果を発表いたします。今回のテーマは「ドキドキ」、応募総数は約1000点(参加大学は13)の中から98点が入賞しました。


第4回 日本語100文字作文コンテスト 入賞者


最優秀賞 梁晨(揚州大学)、周彤彦(南京郵電大学)
一等賞  杨嘉璐(南京郵電大学)、熊元丽(凱里学院)、汪雪媛(三江学院)
二等賞  郭雷扬洋(南京工業大学浦江学院)、潘显芳(信息工程大学)、
     徐诣(南京信息工程大学)、袁文娴(南京信息工程大学)、
     奚晓敏(揚州大学)、高雨(揚州大学)、李静文(揚州大学)、
     罗涓灵(南京郵電大学)、刁松梦(南京郵電大学)、陈洁(揚州職業大学)、
     罗亚妮(南京理工大学)、王瑜蓉(南京理工大学)、范思齐(三江学院)
三等賞  王黎颖(揚州大学)、庄丽娜(南京信息工程大学)、
     袁玖珑(南京信息工程大学)、王海波(南京農業大学)、
     匡盈盈(南京郵電大学)、刘怡宁(南京郵電大学)、
     陈祉玥(南京郵電大学)、朱紫硯(揚州職業大学)、
     苏雅莹(南京理工大学)、陆安琪(南通大学)、郑苏皖(三江学院)、
     吴丽艳(三江学院)、聂东梅(三江学院)
優秀賞  67名
※順不同です。同じ賞の中で前のほうが点数が高いということはありません。

<最優秀賞および一等賞の5作品>
※公開するものについて、作者の許可は得てありますが、転載等の際には十分なご配慮をお願いいたします。



最優秀賞 梁晨(揚州大学)
冬のある日、寂れた街をぶらぶら歩くと本屋があった。中を覘いてみる。なんと、こんな小さな店に様々な古書が積まれている。宝物を見つけたように、私はドキドキした。深呼吸して、その暖かい本の海に跳び込んだ。

最優秀賞 周彤彦(南京郵電大学)
「あ、しまった」と突然母は腹を押さえた。父は急いで母を病院に送り届けた。ドキドキして手術室の外で1年ほど待ったようで、やっと「母子ともに無事」と聞いた。妹の顔を見て、まだ10歳の私はさっと大人になった。

一等賞 杨嘉璐(南京郵電大学)
夏休みに勇気を出して彼に電話をかけた。通じるのを待っていた時に書いておいたメモを見て、話したい言葉を何回も練習したが、彼の声を聞いた瞬間、思わず電話を切ってしまった。十五歳の初恋は風に乗って行った。

一等賞 熊元麗(凱里学院)
試験の時、カンニングを通じて、第一枚の賞状をもらった。みんなは「おめでとう」と言われた。私だけ分かったのはこの賞状が褒賞ではなく、人格の嘲笑のだ。努力して得た栄誉ではないので、十分な不安だと思った。

一等賞 汪雪媛(三江学院)
高校時代、自習課でおやつをこっそり食べていた。食べようとした時、先生の顔が現れて、口から飴を落とすぐらいびっくりしたが、隣の人が呼ばれた。振り返ったら、なるほど、ひまわりの種の殻ばっかりだった。


参考までに、これまで100文字作文コンテストの記事です
第1回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2013-12-16
第2回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2014-05-27
第3回
http://nanjing-ribenren.blog.so-net.ne.jp/2015-05-18



サッカー19歳以下女子アジア選手権のまとめ [ニュース]

以前にも記事でご紹介した通り、8月18日から29日にかけて、南京で19歳以下女子サッカーアジア選手権が開催されました。
結果からお伝えすれば、日本チームが見事に優勝し、来年のU-20女子ワールドカップ出場権を獲得しました。
グループリーグでの結果
日本2-0オーストラリア
日本6-0ウズベキスタン
日本3-2中国
日本は3戦全勝でグループAを突破。

以下はこの中国戦を観戦に行ったHN氏のレポートです。

「8月22日午後4時より江寧体育中心でサッカーU-19女子アジア選手権、日本―中国の試合が行われました。結果は日本3―中国2で日本チームの勝利。なかなか伯仲した試合でした。
 で、試合の様子は?と言うと、
 まあ、筆者のような素人が語るより、下の写真を見ればその熱戦振りがわかるというもの・・・。
 中国側は応援団を仕立てての熱中振りでしたが、日本の方は10数人程度。これがちょっと残念でした。

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」(HN氏のレポートはここまで)

そして決勝トーナメントでは
準決勝 日本1-0韓国
決勝 日本0-0北朝鮮(PK4-2で日本勝利)
※日本は2大会ぶり4回目の優勝

8月29日に行われた決勝の様子はTK氏のレポートを紹介します。

「昨日の決勝は延長でも決着がつかず、PK戦までもつれこみPK戦4−2で日本優勝でした。交代枠を使いきり怪我人でひとり少ない状況でのヤングなでしこの健闘には感動を覚えました。アジアチャンピオンとして来年のU20W杯での活躍を期待します。 」

今後、日本チームの試合があるときは、是非とも日本人会で応援団を組織したいと思います。
ちなみに、3位決定戦は韓国4-0中国という結果で、来年のU-20女子W杯(パプアニューギニア開催)には日本、北朝鮮、韓国の3チームが出場することになりました。中国チーム、残念でした。
以上。

結果の詳細はこちら(wikipedia「AFC U-19女子選手権2015」)




南京日本人教師会による100文字作文コンテストの結果 [ニュース]

南京日本人教師会が主催する第3回100文字作文コンテストの結果が公開されました。
今回のテーマは「始まる」で、南京をはじめ、揚州、宿遷、南通からも応募があり、約500人の応募から86点が入選しました。
以下にその結果を公表し、また最優秀賞と一等賞の作品を合わせて公開いたします。

第3回 南京日本人教師会「日本語100文字作文コンテスト」結果発表

2014年度下半期に開催された第3回南京日本人教師会「日本語100文字作文コンテスト」について、結果を発表いたします。今回のテーマは「始まる」、応募総数は約500点(参加大学は12)の中から86点が入賞しました。


第3回 日本語100文字作文コンテスト 入賞者

最優秀賞  姚沁姍 (南京農業大学)
        张 越 (南京郵電大学)
一等賞    杨静怡 (揚州大学)
        沈丹蕾 (南京暁荘学院)
二等賞    周圣琰 (南京信息工程大学)  张 钰(揚州大学)
        卲 萍 (南京農業大学)      张北辰(南京農業大学)
        毋齐齐 (南京理工大学)     贺锡莹(南京理工大学)
        董 露 (南京工業大学)      霍心然(南京郵電大学)

三等賞    田 雪 (南京信息工程大学)  穈嘉欣(宿遷学院)
        居园婷 (三江学院)        谢苗苗(三江学院)
        刘晶晶 (南京農業大学)     尚 习(南京暁荘学院)
        李飞鸿 (南通職業大学)     郭 晓(南通職業大学)
        胡 杉 (三江学院)        衡少敏(三江学院)
        王 娟 (南京郵電大学)     陈抱玉(南京郵電大学)
        王倩倩 (南京郵電大学)     郑 悦(南京郵電大学)
        郝莉莉 (南京暁荘学院)
(順序は全て受付番号順)

優秀賞  59名


<最優秀賞および一等賞の4作品>
※公開するものについて、作者の許可は得てありますが、転載等の際には十分なご配慮をお願いいたします。


最優秀賞
姚沁姍(南京農業大学)
反抗期によく母と喧嘩した。喧嘩の後、母はいつも溜息をついていた。大学に入って半年ごとに家に帰っている。白髪も皺も増えた母を見て、ちょっと悲しみを感じた。大人になったから母のことを分かり始めた。

张越(南京郵電大学)
ある日、女は「いつ結婚するの」と。男は「十年後にしよう」と答えた。結局、二人は別れた。なぜかというと、十年間男はずっと「十年後にしよう」と話していたからだ。それなら、いったいいつ始めることができるの。

一等賞
杨静怡(揚州大学) 
命は赤ちゃんの泣き声から始まる。私は産まれた直後、なかなか泣かなかった。母は不安になった。急いで私の背中を叩いた。やっと、私は「オギャー」と泣き出した。母は出産のつらさも吹き飛んで、感動の涙を流した。

沈丹蕾(南京暁荘学院)
もともと私は痩せっぽちです。ある日、私はたくさんの物を食べます。お菓子だけではなく、揚げ物も食べます。そして運動をしないから、ずっとベッドでコンピュータをして遊びます。そして最後に、私は太り始めます。


 このコンテストは来年も開催される予定です。みなさん、奮ってご応募ください。



玄武湖公園内の野鳥園 [ニュース]

玄武湖公園の中には「飞禽世界」という野鳥園があったのですが、
現在は工事中で閉鎖されています。
ここでは園内の鳥類に餌をやることもできたのですが、2015年3月現在閉鎖中です。

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再開を強く希望します。

長田元会員の本が出版されました [ニュース]

昨年(2014年)12月12日に講演会を開催していただいた長田元会員の本が出版されました。
その時の講演会の記事はこちら


長田さんからのメールを転載します。

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日本人会の皆さん

 しばらくです。お元気でしょうか。
 長田です。

 12月に日本人会で紹介した内容と、商工クラブの勉強会で説明した内容をもとに、
本をだしました。
 形式で迷っていましたが、結局、費用のもっともかからないAmazonの電子出版形式と
しました。
 タイトルは、「南京と日本」です。
 以前説明した内容は半分より少ないくらいで、あとは新しく調べたもので
す。
 一部、内容を修正した部分もあります。
 ぜひ、読んでいただければと思います。ただし、有料です。。申し訳ありません。
   357円です。

 アドレスは、以下です。
 iPhoneでも、PCでもkindleソフトウェアをダウンロードすれば読むことができます。
 kindleソフトのダウンロードも以下のアドレスの延長でできます。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00VD37P5Q 
なお、今後、以下2冊をだしていきたいと考えています。
 (と書いて自分を縛らないと、流されそうで。。)

  今年半ばすぎぐらいまで  「南京と歴史」
  今年末までには      「南京と詩」

 では、また。


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