第8回南京近現代史散歩「一帯一路の元祖 鄭和遺跡めぐり」に参加して(2018年2月25日) [イベント]

 2018年2月25日(日)地下鉄3号線「常府街」1番出口方面改札口に午後1時4人集合しました。曇りで少し肌寒い天気でした。
 太平巷を東に向かって10分ほど歩くと鄭和公園があり、カラオケや太鼓の踊りを楽しむ人々、小さいアトラクションの遊具に興じる子どもたちなどにぎやかな中を鄭和の立像の広場に着きました。小林さんのお話とリードで探訪は興味深く進んでいきました。現地で一人加わり5名となりました。少ないなあと思っていたので、嬉しさも加わりました。
 前から頭にあったことは、鄭和が中国にキリンを持ち帰ったことぐらいでした。鄭和公園で小林さんが丁寧にお話してくださったので、興味が湧くとともに、さすが中国の奥行きの深さには計り知れないところがあるなという想いをまた抱くことができました。
鄭和01.png
 鄭和は明代、1405年を最初に7回も、東南アジア、インド、アラビア(ホルムズ)まで航海したこと、そして東アフリカへは分遣隊を派遣したこと。当時の中国沿岸には、アラビア商人がすでに交易をしにやってきており、船での行き来は活発に行われていたこと。ということは、交易にかかわっていた人がたくさんいて、行動範囲も広く、中国の商人もアラビア、東アフリカの方まで普通に航海していたのだろうと想像しました。そんななか、鄭和が朝貢貿易に大艦隊を組んで航海したということでした。しかも、その大艦隊は250隻余り、その中核の宝船は全長約150m。「木造で、こんなに長い船を作ることができるのか」とびっくりしました。総勢約25,000人。たいへんな技術力と組織力。明の強力な国力に思いを馳せました。
 そんなことを想いながら鄭和記念館の前に行くと日曜日はお休みということだったので残念でした。そして次の探訪地の「南京宝船廠遺跡公園」に向かいました。地下鉄「常府街」のもどり、3号線で「鶏鳴寺」へ。そこで4号線に乗り換えて終点「龍江」へ。漓江路を北へ少し歩くと目的の「南京宝船廠遺跡公園」がありました。
 入り口に立つと公園中央辺りに木造の宝船が見えています。入場料30元。といってもぼくは60歳以上ということで、パスポートの証明で無料。初めての経験でした。入り口を入るとそこの広場では、子ども対象にインラインスケートの教室のようなものが開かれていました。その傍らを通って宝船に向かって歩いていきました。
 ここは鄭和の艦隊の造船所跡ということでした。見えないですがすぐそばが長江。宝船はそばで見るとたいへん大きなものです。その上、実際の大きさはこの倍はあったと小林さんが話してくださいました。また、出航するときは引き船を使っていたそうで、数多くの船の出航にどれだけ時間がかかったのだろうか、乗組員の出航へ向けての組織的な動き、その連絡、想像もつきません。船の構造では先進的に船倉が細かく隔壁で分けられ、沈没を防止する仕組みになっていたということです。凄いなの連発でした。
 そして、さすが中華料理の国、甲板で野菜を育てて食べていたということを聞いて、これまた「凄いな」と声を上げました。ビタミンの欠乏を防いだそうです。
鄭和02.png

 公園の中を歩いて行くと、屋外に巨大な鉄製の碇を展示しており、巨艦を想像させました。しばらくして宝船博物館に入ると、1本の巨大な木を分厚い板の棒のようにしたものが目に入ってきました。横に置いていましたがとても長いもので、なんだろうかと壁にある解説の図を見ると、どうも舵の軸の部分ということがわかりました。「ふうっ」と溜息をつきました。やはりどんなに大きな巨艦かを想像せざるをえませんでした。当時の中国の技術力、経済力、世界観などに思いを馳せることができ、充実したときを過ごすことができました。
 この探訪で、鄭和のことだけでなく、世間話ができたのも嬉しいことでした。歴史を学びながら現代のことにつないでお話を聞くというのは、なにか心がうきうきするものです。南京での生活になにかがプラスになったような気がしました。小林さんの興味深い丁寧な解説に感謝します。そして、肌寒さの続くなか、夕方5時頃公園を後にして、第2の催し「南京ふれあい食べ歩き」のレストランに向かいました。(T.U)


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