烏江覇王祠 [歴史探訪]

力拔山兮气盖世。
时不利兮骓不逝。
骓不逝兮可奈何!
虞兮虞兮奈若何!

蘇北(江蘇省北部)と安徽省北部には漢楚戦争に関わる遺跡が多い。南京にほど近い烏(鳥じゃないよ!)江覇王祠もその一つだ。ここは西楚覇王項羽自刎の地である。最後の一時、項羽はやはり虞美人のことを思ったのだろうか。

烏江という鎮(町)は実は二つある。一つは南京市の烏江でもう一つは安徽省和県の烏江である。この二つの町は烏江(地名のもとになった川)を挟んで向かい合っているが、事実上一体化して「烏江」という町になっていると考えたほうがよい。ただし、覇王祠があるのは和県のほうの烏江である。

さて、行き方である。二つのルートがある。一つは、雨花台のバスセンターから長江トンネルを経て対岸に渡るバスルート(雨烏線)であり、もう一つは、長江大橋を渡ってすぐの橋北バスセンターからのルート(和県行バスで途中下車)である。筆者は後者のルートで烏江に行き、前者のルートで南京に戻った。

橋北バスセンターを出発したバスはひたすら浦口開発区の中を行く。浦口開発区は長江に沿って南へ南へと開発が進んでいるので、そこを通る道も立派だ。開発区を過ぎた後ようやく農村らしくなり、しばらくすると和県側の烏江のバス停に着く。そこは町はずれでバス停の標識もない。運転手が「着いたぞ」というだけだ。15分ぐらい歩いて烏江の中心街(のようなもの)に着く。埃っぽいまったくのど田舎の鎮である。東西に伸びた長ひょろい中心街を東に向かって行くと、街並みが途絶えたところに覇王祠の第一鳥居がある。

烏江⑥.jpg


ここから参道となる。舗装道路をひたすら歩くだけ。道の左手は工場地帯、右手には農村風景が広がる。水牛が所在無げにボンヤリとたたずんでいた。

烏江⑤.jpg
                   
 
その水田のど真ん中に突然立派な建物が現れる。覇王祠公園の入り口だ。門をくぐって奥のほうへ行くとすぐに覇王祠が。

烏江④.jpg

本殿には項羽の雄姿。ぐっと大地を踏みしめ、力だけを信じた男の気迫がみなぎっている。自ら首を刎ねようとしている敗北者の姿ではない。
                    
烏江③.jpg

本殿の裏手には文革期に破壊されて再建された項羽の墓が。石馬や石人が両側に並び、敗北したとはいえ完全に「帝王」扱いだ。

烏江②.jpg

しばらく静かで整頓された公園の中を散歩してみた。ほとんど客はいない。ピンクの花が目立っていた。この時期に咲く花とは。項羽や虞美人と縁がある花なのだろうか。
                    
烏江①.jpg

帰りも参道をそぞろ歩きして中心街を通り、対岸の南京側にあるバスセンターに向かった。バスは長江に沿って浦口開発区を通り長江トンネルに入る。
区境の長いトンネルを抜けると未来都市だった。(HN)
烏江⑥.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。